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2007年9月24日 (月)

駆除活動その5

第4回と第5回は事前の計画が不十分のため単独の草刈り作業となりました。

Imgp2273 1日目は刈り取り作業のほかに、ラウンドアップ・ピンポイント散布作戦も実施。1リットルのスプレー容器にラウンドアップの希釈液を入れて、他の植物にかからないように注意しながらアレチウリの葉っぱにピンポイントで散布するものです。

 Aさんとの合同引き抜き&草刈りが功を奏したのか、表面的には繁茂しているアレチウリも、近くで見ると本体はまばらで、細いツルが広がって見えるだけでした。

 すでに種がたくさんできており、この時期の刈り取りで種が死ぬのかどうか多少の不安はありますが、これでBBQに突入できるので今回の任務はコンプリーテッドです。

 刈り取りの途中、何度も硬いものに刃があたり大きな衝撃を受けました。これは写真に写っているタイヤやアルミホイール、オイルの空き缶などの不法投棄物でした。他にも千曲市の燃やせるごみ袋(「可燃ごみ」より「燃やしていいごみ」とか「燃やせるごみ」とかの方がいいよね。意味はあまり違わないけど)に入った未分別のごみや、空き缶、空き瓶などがたくさん。作業の邪魔です。

 年末に河川敷の焼き払いを実施する予定とのことですので、燃やす前にそうしたごみ類は回収しないといけません。市民の自主的な発案で、ごみと害虫を千曲川からなくすことができるなんて、すばらしいですね。

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2007年9月16日 (日)

それでもイジメはつづく

ライフ 16 (16) (講談社コミックスフレンド B) 『ライフ』16巻で完結のようです。(お買い求めはアマゾンで!サムネイルをクリックね!)

「イジメ」について、もっと知ろう!

 フジのドラマ「ライフ」の最終回、観ました。コミックを読んでみる気になってきたぞぉ~!

 私はイジメを研究しているわけでも、直接間接に学校教育の現場に関わっているわけでもない。けれど、この問題に興味はある。先ほど最終回を迎えたドラマ「ライフ」に触発されて、イジメのことについて書いてみたいと思う。

 イジメの問題が起きると地方議会で、自分自身何の研究もしていない「にぎやかし」の議員さん方が教育委員会に「うちの学校はどぉ~なっているんだ?!」という質問を発しますね。で、教育長という人が答えます。

「幸いにして、わが街の学校では小さな例を除き、激烈なイジメ問題は発生しておりません。しかしながら、これは他人事で済ませることのできない問題です。そこで教育委員会では、他人の痛みが分かる心を大切にする教育を徹底するよう、各学校へ指示を出したところです」

 こうして、「他人の痛みを理解する子供が良い子」という統一の価値観の中に、すべての学校の児童・生徒が置かれることになります。先生は、自分の実存的価値観で子供を裁いているようですが、その個人的にしか通用しそうにないチンケな価値観とは相容れない考え方をする子供がいると、先生自身の自意識がヤバイんでしょう。

 「先生は正しくて、生徒はそれに従う」という疑いの余地がないように見える自明な考え方は、しかし実はぜんぜん自明なんかじゃなくて、常に正しき見識を持たなければならないと学校や親たちから期待され、その圧力と毎日向き合う教師の自意識をかろうじて維持するための、一方的な押し付けでしかない。

「自分と違う考え方、感じ方があってもいい。それはそれとして尊重し、多様性を引き受けよう 」などと考える教師はいるのだろうか?

 進学のための内申書をつけなければならない立場はさぞつらかろうとお察しもうしあげるけれど、画一の価値観で縛られたコミュニティーは、そこからはみ出す者を潰し、イジメのターゲットそして血祭りにあげる。イジメには構造的な発生のメカニズムがあるという主張を、最近の専門家の一部がし始めているようだ。

いじめの社会理論―その生態学的秩序の生成と解体 この本は相当に難解で、なかなか手に取ろうという気が起きないと思う。これがすべてではないにしても、核心部分をえぐり出すことに成功していると思う。ただ難解な専門書という感は否めず、読む気が起きない人も多いと思う。これについては、核心部分が別の本の中に、比較的平易な書き方でまとめられているので、それもついでに紹介しておこう。
学校が自由になる日 上記の本の著者内藤朝雄氏が、中ほどで「いじめの社会理論」のエッセンスを書いているので、参照してみて欲しい。宮台氏、藤井氏の対談も読み応え十分。

 クラスが順位付けのために同一の価値尺度で統制された場合、そうした統制による抑圧が、それに合せることができない人間を排除する下地をつくってしまう。

 「だって、あいつが悪いから・・・」という理由付けさえできていれば、「場の空気」は、どれほどにも凶悪、凶暴になっていく。「あいつが悪いんだから仕方がない」というふうに。

 けれど、ここでひとつ考えてみてほしい。なにかのきっかけ、引き金、落ち度などはあったのかもしれないが、だからといって精神的、肉体的な暴力がそれに見合うものなのかどうか。そして、「場の空気」という絶対の法律で、クラスという小集団の中の誰かが裁判官の真似事をして、多くのクラスメイトが処罰執行人にさえなることが妥当なことなのかどうか。

 内藤氏は、戦時下の抑圧状態にあった社会が、激烈なイジメ社会に豹変した事例を引き、そのメカニズムがそのまま、まさに今、学校で同様の形態で再現されていることを論じている。

 ライフにも出てきたが、クラスには実にさまざまな性格を持った人間たちが押し込められ、仲良くしろ、という至上命令を下されている。現代の学校は、私から見れば共通感覚を形成しづらいという点でつらく厳しい共同体だと思える。昨日のザ・ベストテンの1位の歌の話ができた昔は、その意味では楽だったと思う。現代社会は、社会が求めた選択肢の多様性が実現されたおかげで、TV、PCなどからアクセス可能な多様な情報に、与えられた個室からアクセスし、てんでバラバラな時間を各自が過ごしている。共通感覚をもった少数のメンバーで構成される小集団ができ、通常はその集団内でのルールに従って生きることで、自意識と自己肯定感を各自が調達してかろうじて安定を保つことに成功している状況ではないだろうか。

 同じ言葉づかい、同じファッション、同じ価値観に寄り添うことができれば、自分の居場所が確保される。一人が「あいつウザくね?」と言い出せば、「だよね!」という同意が期待され、同調を余儀なくされる。自分がどう思うか、ではなく、同じ気分を共有し維持していくことを強制される集団が形成されてしまうことが、構造的イジメのもうひとつの下地になっていると思う。

 しかし、たかだか自分の意に沿わないとか、同調しないとか、オンリーワンの部分を持っているとか、というあって当然の個人の自由が、排除や処刑の対象になってしまうのはなぜなのだろう?なぜあんたが裁くのか、裁ける立場なのか、相手はそんな風に裁かれる人間なのかと、真摯に自問してほしいものだ。

 これはオウム真理教が道を誤る原因にもなったロジックと同じだ。つまり、「尊師が希求する理想世界実現の妨げになる人間や、偉大なる尊師の偉大なる活動を排除しようと悪魔が使わした悪い人間は、相対的に考えれば殺してしまっても罪にはならない」ということと、まったく同じだと私には思える。

 いじめられるのはもちろん、誰かをいじめることにも嫌悪感を感じるアユムという主人公の設定は、「分かるけど、私はそこまではできない」という理想と現実の大きな隔たりを、絶望感とともに子供たちの心に残してしまうのではないか。「嫌なやつはやられて当然」という勧善懲悪的な態度を読み取る人間はまさかいないと思うが、まずは自分が厳しい統一基準で裁かれて、個性をなくして生きなければならない地獄の鬼にならないように、自分と違う他人の存在に、もっともっと寛容でいてほしいと思う。

 そのために、私たちはもっともっとイジメについて学び、語らなければならないのだと思う。

 そのひとつのキッカケを社会に提供したドラマ「ライフ」の社会的な意義は大きかったと思うのだ。

 こうしたメカニズムをもっともっと研究して、人間には特定の環境下では、そうした残酷、残虐な悪魔に変身する可能性があるのだということを小さいうちから学ぶことができる教育システムを提供できればいいと思うんだけどなぁ~・・・

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2007年9月13日 (木)

まだ、缶詰めです

 生活の場を一時的に移すのは別に大きなストレスにはならない体質なのですが、やはり仕事できているので、知識の薄い分野に打ちのめされることがあるのですよ。

 講義1コマ1時間半ですから、そうしたむずかしい話のどこに足場を見つけて切り込むかが勝負です。夜の話はスムーズに進むのに、なぜか時間中の事例研究では「ネタ」としてではない真剣な議論が求められます。慣れない私には実に厳しい話です。

 けれど、今日はナントカ乗り切りました。これからお外で懇親会です。やっと出発前夜にハサミで切り抜いた名刺が登場ですよ。

 千曲市長選挙も大詰めで、怪文書などが飛び交っているようです。対立するのが地元の問題を解決するための最善の方法なのか?対立することそれ自体が自意識の拠りどころになっているのではないのか?そんなことを最近よく考えます。
 イメージ選挙になりがちな田舎の選挙ですが、とうの政策を追求する姿勢が市民に見えないのは問題ではないかと思いますね。年齢や、行政経験の有無や家庭の問題など、直接的な影響のない事柄をことさら言い立てるのは、政策では勝てない陣営がやることでしょう。

 個別具体的なことは市民が知っても知らなくてもいい、という事だってあるかもしれない。けれど、それをこそ訴えていくのが今、候補者に求められる活動だと思うのです。問題は一つや二つではないのだから、表に出てこないことは全然考えてない、なんてことにもなりかねません。よく考えたいですね。

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2007年9月11日 (火)

缶詰です

環境省の「環境調査研修所」に囚われの身になっています。

防衛医科大学の北に面する細長い建物で、シャワールーム共有、トイレ共有、昼休みは12:45~13:45。

1時間半の講義はさすがにつらい。

金曜日のお昼まで続くこの研修、どれだけ睡魔にうち勝てるか、そこが勝負どころで性根。

西武球場が近いらしいのだけれど、自転車での観戦は禁止されているので、講義終了後の時間の使いかた考えないと。

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2007年9月 9日 (日)

良き人間であれ!

ライフ 15 (15) (講談社コミックスフレンド B)
★長野では土曜日の23時ころから放送されている「ライフ」(フジテレビのオフィシャルサイトへリンク貼ってます)というドラマがある。
国会議員の娘が、全能感丸出しでイジメに突っ走って、椎葉歩(しいばあゆむ)という主人公を含め、学校中、いや親、家庭をも巻き込んでドロドロの騒動になる、というお話。(上の画像をクリックすると原作本を購入できます)

 来週が最終回だと言うことなんだけど、今週のラストシーン、イジメ側の中心人物である国会議員の娘(まな)が、本当はこいつが悪いんだと初めから知ってたクラスメイト全員に追いかけられて取り囲まれ「土下座コール」を浴びせられる、というものでした。

 多くの視聴者が気づいていることだと思うし、作者や脚本家も明らかに意図していたことだろうけれど、このシーンで一番怖いのは真相を知らない大多数の人間たちまでもが、一人の人間を吊るし上げる「イジメ・システムの蔓延」が垣間見られたことだと思う。
 悪者が裁かれたと思ってスッキリとした気持ちでこのシーンを見た人は、もう一度考えてみて欲しい。まなやしいばだけのイジメ問題ではないのだ。ドラマの中心人物たちは、顔の見えない、その他大勢の生徒たちの心の「抑圧されたイジメ・マインド」に色や方向性を与えたに過ぎないのではないか?

★自分の将来がかかっているから、生徒たちは評価に結びつく生徒象に自尊心を曲げてでも自分を近づけようと必死になってると思う。やりたくない部活動や、ボランティア活動だってやらなきゃならない。しかもにこやかに、一生懸命っぽく。
嫌いなヤツ、気の合わないヤツがクラスにはどうしてもいる。なのに囲い込まれて、仲良くしろ(しないと、そうできないお前が悪いのだから評価を下げる)と脅され、家ではテストの順位で扱いが変わり、無条件の愛情など望むべくもない。
 学校に行かなくなる子供が増えるわけだ、こんな状況では。

このドラマ(まぁ、ドラマだから熱くなっても仕方ないが)、悪い人が多すぎです。私の記憶の中には、人に優しくしなさいとか、いじめてはいけませんなんていうメッセージを先生からもらったことはない。忘れているだけかもしれないが、私の子供時代には激烈なイジメはなかったということにも関係があるだろう。

 一昔前の国会議員の娘とか、多額の寄付をもらっている有名私立進学校の学長とかって、あんなイメージだったのかな。悪い人過ぎる。「場の空気」を読め、とマナがやめていく先生に言ってましたね。場の空気は多くの場合その場のルールを決めるので、法律がどうの、道徳がどうのという世間の縛りは簡単に無視されるのですね。その場の空気に染まる者だけが身内で、あとは他人、物、風景になる。そうしたメカニズムをロールプレイなどで反復させて、関係者みんなで処理・解決できる仕組みを作らないといけませんね。
 まずは教室内に突然形成されてしまう「特殊ルール」とそれへの同調を強制する空気にぶつかったら、それに染まる自分を想像してみて欲しいですね。別にそうしたことすべてがイジメや悪いことに結びつくわけではないのでしょうが、イジメに直結する場合もありますから、参加することでそのルールに染まる自分に後ろめたさがないかどうか、よくよく確認してみる必要がある。

 悪い人間として生きるのでは、常にいなければならない社会のどこにも、心の休まる居場所は作れない気がします。

★まずは、良き人間であって欲しい。

■誰が見ていなくてもタバコの吸殻を側溝に捨てないで欲しい。

■誰が見ていなくても車の窓からタバコを投げ捨てたり、空き缶などを投げ捨てたりしないで欲しい。

■自分の保身や欲のために他人を貶めたり、事実無根の(あるいは真偽不明の)噂や悪口を言ったりしないで欲しい。

■エライ人に取り入ったり、コワイ人に頼んで自分の立場を不当によくしようとしないで欲しい。

■誰が見ていなくても法に触れる重大な犯罪はしないで欲しい。

■他人を騙して自分の立場を有利にしようとしないで欲しい。

 こんなバカっぽいお願いですが、そんなことから、まず「良き自分」のイメージを形成していくことからすべては始まると思うのです。表裏があってはいけないといっているわけでもありません。社会の側が常に正しくて、常に自分がそれに合せていかなければいけないといっているわけでもありません。

 私が言いたいのは、悪いことや不当なこと不正なことをしない自分を好きになってほしいということ。そこにプライドを持って欲しいということ。
誰も見ていなければ悪いことができる人間として生きることを恥じて欲しいということ。

 私が言いたいのは通り一遍のキレイごとではありません。暴力はいけませんよ、援助交際はいけませんよ、いい歳して結婚しなくてはいけませんよ、みたいな話ではありません。

★地球環境問題を始めとする世界の側からの爆破予告が届いているのに、資源を無駄にしたり、ダイオキシンで自分の健康さえ害するのも知らずに家庭ごみを庭で燃やしたり、間接喫煙(受動喫煙)によって他人の命を縮めていることも知らずに喫煙を続けたり、自分の成功体験しか知らないくせに、それがすべてだとばかりに他人に押し付けようとしたり、組織の慣例だからといって悪をおこなっていることに対する罪の意識が希薄になっていたり・・・・・そういうことなんですよ。
 良き人間としての自尊心を築いた上に、その自尊心を、こうしたことをすることで壊してしまわないように、プライドをそこにかけて、良き人間になるように努力して欲しいのです。

 私自身にも、以上のことばは向けられています。たぶん完璧にはなれない。でも、良き人間である、というプライドをもって生きれば、社会はもっと良くなる。

*****************************

★この本(↓)を読んでから、私は自分により厳しくなった気がします。
ものは考えようだなという感じです。
「箱から出る」というのを理解できると、身の回りにはなんと、こんなにも自分の箱に入ったままで生きている人がいたのかと驚かされます。

これは、ひとつの考え方で、それに絶対真理があるとか言う問題ではありませんが、人間関係を考え直すとしたら、まずこの本から、ということでアルジュナハート的に一押しの一冊です。

個人的にはいわゆる「How to本」といわれる部類なのかと思っていたのですが、会社の最高幹部の一人として採用されたある人物が、そこの会社の高い業績の秘密ともいえるある考え方を、上司に導かれて理解していくというストーリー仕立て。ついつい読みふけってしまい、今でも時々てきとうに開いたページを読んでは、その言わんとするところを反芻しています。

読んで損はしません。
信じられない人は、買わなくても貸してあげるので私にメールください(職場&友人関係Only)。

自分の小さな「箱」から脱出する方法 Book 自分の小さな「箱」から脱出する方法

著者:アービンジャー インスティチュート,金森 重樹,冨永 星
販売元:大和書房
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2007年9月 8日 (土)

ドリアン更に成長!

まずは見ていただこう!

Imgp2224

葉が大きくなってきましたよ。
大きな種から出てきた太いものは、結局このしたの太い茎・・・いや幹か。

直撃が心配された台風も被害ゼロで通過し、湿気をたくさん含んだ夏が戻りました。なので、ここぞとばかりに玄関で日光浴させています。

寒い季節が心配です。

このドリアン君がいるキッチンには、まだお酒になっていないマムシもいます。

Imgp2226 なんか栄養がなくなってきて「ヤバイ」と思い始めたのか、最近よくウネウネ動いています。
飼い始めたころはただただじっとしていたのに、いくら驚異のスタミナを持つとはいえ、1ヶ月以上も水に浸されて絶食状態なので、危機が迫っているのかも・・・。

なんかかわいそうになってきてしまった。

赤マムシと言われてもらったんだけど、最近特に赤みが強くなってきた気がします。

★で、同じくキッチンの住人ですが、エサのいらないエアプラントです。
Imgp2227

枯れてるのか、生きてるのかすら判別付きませんが、空気中の水分を吸収するらしいです。

軽井沢のアウトレットモールで気に入った入れ物があったので、入っていたこいつごとレジへ持っていくと、「植物は別ですが・・・」とのことで、「じゃ、いっしょで」と即決。なんかゆるい感じでポワっとしたやわらかくて棘のない存在感が気に入ってます。

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