« 政教分離の原則と「神社で市長あいさつ違憲」判決 | トップページ | 残念な結果・・・・・TOEIC »

2008年4月20日 (日)

「中国人」という集団

中華人民共和国という巨大な国には、広大な国土と、その広さでさえあふれんばかりの人口がひしめいている。

それを一からげに「中国人」と呼ぶことには大きな疑問があるが、まぁそれを無視して、最近世界中を騒がせている北京五輪聖火リレーの妨害問題や、開会式のボイコットに絡む議論を報じるニュース映像の中で赤い服を着てCNNなどに文句を言う「中国人」に対して思うことを書くことにしたい。

例えばフランスに対する抗議の矛先が、なぜカルフールに向くのか?

 善光寺の落書きは、まさか中国人ではないと信じているが、人権無視の無法国家を体現するかのような振る舞いを続ける中国人は、受け入れられないことに腹を立てることはできても、批判を聞き入れ、真摯に対応しようとする姿勢がない。これだけ自分のことが分かって いない人間が多い国民性も珍しいと思う。
 分かっていないから受け止める余地も無い。さらに、仕返しでもするかのように他国の文化や国民性を醜い態度でなじる、叩く、否定するなどやりたい放題だ。そんな態度の国民がいる国へ行くことにすら言い知れない恐怖心が沸いてくる。

 法を無視して環境負荷をどんどんとかけ、人権無視で劣悪な労働条件を改善しようとしなければ、目先の金儲けは可能だろう。しかし、そこで日々生産され続ける未来への負債は、中国人の子孫に対してだけ残る負債であるどころか、全世界の未来に対する大きな負の遺産となるに違いないのだが・・・。

 日本には、それでも現実に守られ続けている憲法がある。国家はそれに縛られ、国民の人権を尊重し、国民の自由を保障している。
 しかし中国ではどうか。中国政府は何かに縛られているだろうか?わたしは、現実的には「何でもあり」な状況だと見ている。きっとテロに最も屈しない国は中国だろう。人質の命は国家を維持するという大儀の前では無に等しいからだ。

 力で守らなければならない聖火なんてありえない。受け入れないのは中国であり、そうした国民的な態度が、世界各国から嫌悪の対象として反発を生み出す一番の理由だ。それに気づけなければお話にならない。対話は成立しない。

|

« 政教分離の原則と「神社で市長あいさつ違憲」判決 | トップページ | 残念な結果・・・・・TOEIC »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/55400/20425572

この記事へのトラックバック一覧です: 「中国人」という集団:

« 政教分離の原則と「神社で市長あいさつ違憲」判決 | トップページ | 残念な結果・・・・・TOEIC »