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2008年12月24日 (水)

仏教諸派の教祖さま

法然とか親鸞とか日蓮といった、日本史で勉強した仏教諸派の開祖や、その後、現れた偉大な仏教の僧たちについてちょっと考えることがあったので書きます。

きっと、偉大なる開祖たちは、死後に開ける世界があることなんて、これっぽっちも信じていなかっただろう、と勝手に思ったわけです。
現世において法律やしきたりなどで許されなかった人間も、「仏が許す」と言われれば、臨終に際して安らかな気持ちを持てるし、改心してよき人生を歩むことで心安らかな日々を取り戻すことができる、ということを開祖たちは知っていたはずです。

人の死に意味を与えて、残された者たちにその死を理解可能にすることこそが宗教の仕事だとわかっていたからこそ、現世の人間に向かって仏法をといたわけですよ。乱世にあって荒みきった人々の心を救済する宗教活動が必要なことを理解していたと思います。

私の知る「死者」って、死んでしまった人の「生きていたときの記憶」なんです。だれにとっても同じだろうと思うのですが、まぁ、百歩譲って焼かれる前の眠っている姿かな。すでに死んでしまった人って言うのはどこにいるかというと、やはり記憶の中なのでしょう。決して「あの世」ではありません。
周りの人々に望まれ、期待される生き方は、人それぞれ、千差万別だと思いますが、人間は望み、望まれて生きているということに変わりはありません。しかし、現代の日本では、そうした望み望まれる小さなコミュニティからもこぼれてしまう人間が増え続けているように思います。
そうした人々の生きる拠り所となるべき宗教は、現在の宗教界にはないのではないでしょうか?宗教の情報を収集しているわけではない人並みの知識しか持ち合わせない私に届いてこない情報は多くの日本人にも、同じく届いていないだろうと思われますから、多くの人間が知っている、日本人の拠り所となる宗教は宗教の世界ではなく、学問の領域に存在しているのではないかと思います。機能的に等価であれば、宗教っぽくなくてもいいわけですよね。

これからは、使い古された言葉ですが「心の時代」になると私は思います。
新自由主義の旗の下に拡大を続ける企業のような教団は、その存在意義を問われることになって来るでしょう。新しい宗教がいくつも生まれてくることでしょう。宗教という形態からはかけ離れた外見をもって、宗教の役割を担う学問もどんどんと身近に広がってくると思います。私たちは、もっともっとそうした事柄に対して、明確なビジョンと自分なりの答えを持つべきだと思うのです。

環境問題も法制度も、経済も政治もなにもかもを大きく見直すべき時期に来ていると私は思います。そうしないと社会の進むべき方向は定まらないはずです。

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