2010年1月25日 (月)

「地球温暖化」とは何か?

温暖化はウソだ。

リサイクルは不要だ。

という話が人気なのは、多くの人がわれわれの乗り物「地球号」の行く末を見定め切れていないということでしょうか。

見定めることは、絶対に不可能なのですが、バランス感覚の優れた立論は時々耳にすることがあります。

地球温暖化問題とは、温室効果ガスの抑制を主目的にしたら見誤る気がする。

地球温暖化問題とは、人類にとってのエネルギー問題であり、ライフスタイルの問題であり、新たな社会をイメージするために踏まえるビジョンでもある。

確かに、レジ袋の節約は、石油の量で言えば微々たるもの。

鬼の首でも獲ったように、温暖化防止に貢献したと勇んではいけないのだが、これももったいないをモットーにする日本人の心情に訴えかけてくる何かがある。

スーパーからの片道を運ぶだけの袋を使い捨てるのは、確かにもったいない。

たかだか5分10分の移動で袋は廃棄物だ。

わが家にしてみれば娘のオムツを小分けにして捨てる大切な入れ物なので、時々マイバッグを使わないこともある。

まぁ、それでも気持ちの問題で、使うのなら有効に、と言うことでいいんじゃないだろうか。

さらに、経済を活性化させるキーワードは環境だろう。

現在、目の前には「大いなる物語」はこれしかない。

最終的には哲学の領域に踏み込まざるを得ない気もするが、子孫が生きる未来の社会を含めて現在を考えられるかどうか、ここが分岐点だろうと思う。

アメリカのオバマが環境に大きく舵を切ってきたのは、経済をこれで回そうという気持ちが強いからに他ならない。その辺りから国際社会を眺めれば、おもしろい側面が見えてくるだろうと思う。

この地球温暖化問題には、さまざまな言いがかりがある。

企業陰謀説とか段階的氷河期説、2012年マヤ暦地球滅亡説・・・・・。

そうした極端なものに飛びつく気持ちが自分の中にあるときは、ことの本質を探って、自分なりの答えを用意しなければならない。

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2009年12月10日 (木)

ヱヴァ分析 つづき

セカンドインパクトの際に現れた4人の巨人と、条約により一国が所有できるヱヴァの数が3体までという決め事との間に何らかの関わりがあるのかどうか・・・。

「ある」という意見が多いようですね。

ヱヴァが4体集まると、サードインパクトの危険があるということか。
4人のネブカドネザル王と、劇中に出てくる「ネブカドネザルの鍵」になにか関わりがあるのか。
ヱヴァ4体が条約に背き、第三新東京市のNERV本部に集合して何かが起きるのか。集まるとしたら、弐号機、参号機が壊れちゃったから、初号機、零号機、六号機(Mark6)、八号機(詳細不明)か(7号機は?)。

ヱヴァンゲリヲン自体は、なにからどうやって作られているのか。

アダムは南極の「白き月」内部で発見され、リリスは箱根の「黒き月」から発見されたということだが、第一始祖民族が蒔いた二種類の生命の種が地球に着床したということでいいのか。

アダムは、発見当時「未覚醒」で、実験の最中に目覚め、黒き月チームに反撃するためにアンチA.T.フィールドを展開、黒き月より生まれたすべての生命体の半分を消した。

アダム以外の白き月チームの使徒はアンチA.T.フィールドを展開できないが、S2機関を持ち、永久に純単独で行き続けられる単体生物(=生命の実を食べた種族)。

白き月チームに勝利し、相手のS2機関を取り込んで儀式をおこなうことで、アダムとリリスの両方の能力を持つ「神に近い存在」になることができる。

ゼーレの人類補完計画は、「滅び」という形をとるが、ゲンドウはアダムとして初号機と融合してユイとの再開を果たしたあと、自らサードインパクトを拒否してパンドラの箱を閉めるつもりでいたのではないかと想像しているのですが・・・・・。

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2009年12月 9日 (水)

ヱヴァンゲリヲンの更なる謎解き

一般的な話題ではないので、関心の無い方はスルーしてくださいね。

新劇場版ヱヴァンゲリヲン「破」のブルーレイが早くで無いかなぁ、と心待ちにしながら、かなり遅めの「ヱヴァ謎解き」に挑戦しています。

最初に言っとくと、これを真剣にやりすぎると、ヱヴァが楽しめなくなる場合も出てくるんです。私もヤバイ感じになってきました。

現在、取り組んでいるのは、黒き月チームv.s.白き月チームのサバイバル説の作成です。

「死海文書外典」は、ルールなどの手引書で、それを仕組んだのが「第一始祖民族」であるという、夢も希望もまったくない説を考え中。

さらに、ヱヴァ=日本軍で、ヱヴァ破のラストでヱヴァ初号機を止めたのが月から来たMark6=昔のアメリカの核爆弾ファットマン(Mark3系)の改良型というのも平行して考えています。正体の見えない敵=戦力の読めないアメリカであり、神風に吹かれるままに突き進んだ天皇を頂点とする日本は、ごく少数の人間の欲望を実現するために世界をも滅ぼそうという神がかり状態のヱヴァにも見えてくる。

なかなかいいストーリーにならなくて困っています。

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2009年11月19日 (木)

ヱヴァンゲリヲンの情報整理

まず言っとく。

海洋堂のリボルテック・ヱヴァを買い込みました。
量産機2種類、初号機覚醒版、弐号機、仮設五号機という感じで・・・。

で、新劇場版「序」、「破」を受けて、今後の展開を想像したり、これまでのテレビシリーズと旧の劇場版からゼーレとゲンドウのシナリオについて考えたりしています。

これまで、あまり詳しくは調べてなくて、観たままの感想を書いていただけだったんだけど、神であるかのように詳しく調べてHPにアップしているスゴイ人がいるのを見つけたのをきっかけに、自分なりに情報収集&整理をしています。

「破」までを観て、ゼーレやゲンドウが言ってる「リリスとの契約」という言葉がどーも頭に引っかかって・・・。

この先の「Q」と最終回との二回で、この「リリスとの契約」がゼーレとゲンドウによって履行されることになるんだろうけれど、そもそもリリス相手に契約って可能なの?
「死海文書外典」をリリスとリリンとの契約書と見なしているのかも。

ゼーレも、なにゆえにLCLになりたがるのか?
なりたくない大多数の人類の気持ちなんかお構いなく、勝手にそんな話を進めて実行しちゃうってどういうことなの?それこそが「残酷な天使のテーゼ」なのか?

ゼーレがやってることって、人類のためになってない気がしない?

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2009年10月20日 (火)

「仏陀再誕」というアニメのCM

CMによると・・・

ある事件をきっかけに霊が見えるようになって・・・・・

まぁ、作り話だからどうだっていいんだけどさ、「現代の荒廃した世界を救うために『仏陀』は再誕する。」という部分は、CM段階ですでに終わっている。

悟りを得てニルヴァーナの世界に赴いた者が、解脱したはずの輪廻転生を経ず、いきなり再誕するなんてさぁ・・・あまりにも仏教をバカにした話だと私は思うね。

悟りを開いた者は、輪廻転生から卒業するので、本当に悟りを開いた者であるならば、再誕しないはずなのだ。キリスト教じゃないんだからさ、その辺をまず分かっておいてほしいよね。

それに仏陀は「神」じゃなくて「人」だ。
大いなる力で世界を救うなんていうイリュージョンは起こせないのだ。
観てもいないのに、基本的な部分で突っ込みどころが満載なアニメってどうなんだ?

しかも仏陀や仏教を、本来の姿からすいぶんと変形させてしまっているという点で、仏教界からクレームのひとつ、ふたつは出てもいい。身近な宗教に関わることがらだけに、結構あちこちで火の手が上がるような気がする。

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2009年3月12日 (木)

今日は5年目のがんちゃんの命日です

大切な友人が亡くなってから5年が経ちました。

楽しい思いでもたくさんあって・・・、でも闘病とお葬式のことを思い出すと、今でも身を切られるような心の痛みを感じてしまいます。

今年も、また彼のことを思い出してみませんか。

http://arjunaheart.com/arjunaheart/ganchang.html

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2008年12月24日 (水)

仏教諸派の教祖さま

法然とか親鸞とか日蓮といった、日本史で勉強した仏教諸派の開祖や、その後、現れた偉大な仏教の僧たちについてちょっと考えることがあったので書きます。

きっと、偉大なる開祖たちは、死後に開ける世界があることなんて、これっぽっちも信じていなかっただろう、と勝手に思ったわけです。
現世において法律やしきたりなどで許されなかった人間も、「仏が許す」と言われれば、臨終に際して安らかな気持ちを持てるし、改心してよき人生を歩むことで心安らかな日々を取り戻すことができる、ということを開祖たちは知っていたはずです。

人の死に意味を与えて、残された者たちにその死を理解可能にすることこそが宗教の仕事だとわかっていたからこそ、現世の人間に向かって仏法をといたわけですよ。乱世にあって荒みきった人々の心を救済する宗教活動が必要なことを理解していたと思います。

私の知る「死者」って、死んでしまった人の「生きていたときの記憶」なんです。だれにとっても同じだろうと思うのですが、まぁ、百歩譲って焼かれる前の眠っている姿かな。すでに死んでしまった人って言うのはどこにいるかというと、やはり記憶の中なのでしょう。決して「あの世」ではありません。
周りの人々に望まれ、期待される生き方は、人それぞれ、千差万別だと思いますが、人間は望み、望まれて生きているということに変わりはありません。しかし、現代の日本では、そうした望み望まれる小さなコミュニティからもこぼれてしまう人間が増え続けているように思います。
そうした人々の生きる拠り所となるべき宗教は、現在の宗教界にはないのではないでしょうか?宗教の情報を収集しているわけではない人並みの知識しか持ち合わせない私に届いてこない情報は多くの日本人にも、同じく届いていないだろうと思われますから、多くの人間が知っている、日本人の拠り所となる宗教は宗教の世界ではなく、学問の領域に存在しているのではないかと思います。機能的に等価であれば、宗教っぽくなくてもいいわけですよね。

これからは、使い古された言葉ですが「心の時代」になると私は思います。
新自由主義の旗の下に拡大を続ける企業のような教団は、その存在意義を問われることになって来るでしょう。新しい宗教がいくつも生まれてくることでしょう。宗教という形態からはかけ離れた外見をもって、宗教の役割を担う学問もどんどんと身近に広がってくると思います。私たちは、もっともっとそうした事柄に対して、明確なビジョンと自分なりの答えを持つべきだと思うのです。

環境問題も法制度も、経済も政治もなにもかもを大きく見直すべき時期に来ていると私は思います。そうしないと社会の進むべき方向は定まらないはずです。

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2008年7月31日 (木)

インスターレーションという芸術

 前のエントリーのコメントに書きましたが、インスターレーションとかパフォーマンス・アートという芸術の表現技法があります。初めて聞くという方は、wikiあたりで調べてみてください。ちょっと分かりづらいけど解説されています。

 ボクの中では、インスターレーションもパフォーマンス・アートも、日常慣れ親しんだ「時間」あるいは「空間」を切り取って見せてくれる表現技法という感じですね。自分の生きている生活空間は、地域の共同体構成員に共有された共同体のコードによって埋め尽くされています。それは共同体の構成員にとっては特別なものではなく、あくまでも自明なものであるために意識することなく順応し、疑問に思うことも無い。さまざまな社会関係にも、地域のさまざまな場にも、共同体のコードは張り巡らされており、ネットの普及により地域、地縁から自由になったと言われてはいても、実際のところ多くの価値観が共有され、季節の風や車の音、電車の音、鳥の声、空気の匂い、川の水音、神社のお祭り、ビルのが作る影、学校の校歌など、数え上げればきりがない日常の風景を共通前提として人間は成長してゆきます。

 そんな共有された当たり前のものを、あたかも他人事のようにみることができる装置が、インスターレーションであり、パフォーマンス・アートなのだとボクは考えます。笑ったり、驚いたりして、後でよく考えたら、実は自分を笑ったり、自分に驚いたりしていたことに気づく。自明であった世界が急に不確かなものとなり、これまでの「当たり前」が、特別なものごとであるかのように目の前に立ち現れてくるというわけです。

 自分自身や、自分がやっていることを「他者の目」で見せてくれる芸術、それがインスターレーションでありパフォーマンス・アートであると思うのです。

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2008年4月20日 (日)

「中国人」という集団

中華人民共和国という巨大な国には、広大な国土と、その広さでさえあふれんばかりの人口がひしめいている。

それを一からげに「中国人」と呼ぶことには大きな疑問があるが、まぁそれを無視して、最近世界中を騒がせている北京五輪聖火リレーの妨害問題や、開会式のボイコットに絡む議論を報じるニュース映像の中で赤い服を着てCNNなどに文句を言う「中国人」に対して思うことを書くことにしたい。

例えばフランスに対する抗議の矛先が、なぜカルフールに向くのか?

 善光寺の落書きは、まさか中国人ではないと信じているが、人権無視の無法国家を体現するかのような振る舞いを続ける中国人は、受け入れられないことに腹を立てることはできても、批判を聞き入れ、真摯に対応しようとする姿勢がない。これだけ自分のことが分かって いない人間が多い国民性も珍しいと思う。
 分かっていないから受け止める余地も無い。さらに、仕返しでもするかのように他国の文化や国民性を醜い態度でなじる、叩く、否定するなどやりたい放題だ。そんな態度の国民がいる国へ行くことにすら言い知れない恐怖心が沸いてくる。

 法を無視して環境負荷をどんどんとかけ、人権無視で劣悪な労働条件を改善しようとしなければ、目先の金儲けは可能だろう。しかし、そこで日々生産され続ける未来への負債は、中国人の子孫に対してだけ残る負債であるどころか、全世界の未来に対する大きな負の遺産となるに違いないのだが・・・。

 日本には、それでも現実に守られ続けている憲法がある。国家はそれに縛られ、国民の人権を尊重し、国民の自由を保障している。
 しかし中国ではどうか。中国政府は何かに縛られているだろうか?わたしは、現実的には「何でもあり」な状況だと見ている。きっとテロに最も屈しない国は中国だろう。人質の命は国家を維持するという大儀の前では無に等しいからだ。

 力で守らなければならない聖火なんてありえない。受け入れないのは中国であり、そうした国民的な態度が、世界各国から嫌悪の対象として反発を生み出す一番の理由だ。それに気づけなければお話にならない。対話は成立しない。

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2008年4月 8日 (火)

暫定税率を手放して割を食うのは未来の子供たちだ

 巷では、東知事が声高に「暫定税率を維持していただかないと、宮崎の道路建設は立ち行かなくなる」と力説していましたが、実はそうでもないみたいな話も出始めて、国民受けする模範解答は、

 不要なものばかりに使われてきた税金なら、いっそ「廃止します」と言うほうが、よほど国民と向き合っている政治家だ、みたいなことになってきている気がします。

 しかし、話が単純すぎると思うのは「わたしだけ?」

 「計画していた道路行政が推進できない」

 「だったら支出を見直せ」

 「毎年2兆円以上の歳入欠陥をなにでうめる?」

 「高価な釣竿買うのやめれば浮いてくるよ」

 いや、こんな単純な話ではないはずです。

 そもそも、政府が抱えるたくさんの難問には、まぁ、これ、びっくりするくらいの巨額は費用が必要ですよね。待ったナシの環境問題、待ったナシの年金問題、待ったナシの薬害対策費用・・・ガソリンが安くなって、笑顔で満タンかましてるあなた!ちょっと財布の負担が軽くなったくらいでバカみたいに喜んではいけません。いずれ、別の形でその分のツケがあなたにも確実に回ってきますよ。

 さらに引いた場所から眺めてみましょう。

 日本って、どれくらいの借金抱えてるんでしたっけ・・・・・・・・・・・・・

 使い道たくさんありますが、仮になかったとして、じゃぁ、借入金の返済に充てないですかねぇ・・・。私なら子々孫々まで続く借金の山を少しでも減らすでしょうね。

 けど、そんな議論にはなかなか出逢いません。

 化石燃料がなくなるって言ってるときに、なぜ値を下げて使いやすくするのでしょうねぇ。ジリジリと値を上げて、新エネルギーにシフトさせていかないといけないんちゃう?

 京都議定書の目標数値クリアのための取り組みが今すぐに必要なんちゃう?

 温室効果ガス抑制と、化石燃料の枯渇を見据えた新エネの研究開発に、お金がかかりますよねぇ。

 もちろん無駄なお金を使わせておくなんてもってのほかですが、使わなくてはいけない場面があっちにもこっちにもあるじゃないですか!それをしっかりと見切って、采配できる政治家が、今、この日本にはいないのですね。
 ガソリンがちょっとばかり安くなったくらいで、民主党が国民の目線で政治をやってるなんてお笑いです。「財務省出身者の日銀総裁就任断固阻止」・・・正気ですか?この人事問題を含めて、民主党がおバカ政治を続けていることで被る内外の損失は計り知れません。

 責任を取る=辞任だと固く信じている愚かな政治家は、今すぐ議員バッジを外せ!

 どーも国益がしっかり計算されている気がしない今日この頃ですね。

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