2006年12月 4日 (月)

ジェンダーフリーについて、また話すぞ

 これまであれこれと考えたり本読んだりしてたんだけど、なんとなくジェンダーフリーが見えてきました。

 まず、これね。

 個別具体的な状況を超越した男女共同参画やジェンダーフリーは存在しないということ。なぜか?

 それは「男とか女とかという区別の理想型」を示して、バラつきのある社会のあれやこれやをすっきり区分して社会に組み込むといった交通整理とは違うからです。つまり、現実に直面している人々の顔ぶれを無視して何を語っても説得力がない、という状況で、さらに、人間は「男女の区別」みたいな二分法では全員を区別しきれない状況にあることがハッキリと見えてきているってのも要注意ね。

 まだ、頭の中でハッキリとした自分らしい表現が形成されていないので、なかなかうまく言えないのですが、このところ長期にわたってサボってましたので、なんとか昔のペースに持っていきたいなと思ったものだからさ。

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2006年4月17日 (月)

女性蔑視者ではないのに・・・

たぶん、会話や議論の中でわたしが、

「身体的な特性や限界に根ざす男女の区分はあり得ると思う。オリンピックには同じ種目に男性のみエントリー、女性のみエントリー、男女でエントリーがあるけど、ほとんどのものは同じ形態のスポーツを、男女別々にやるのだから、男と女には誰もが認める違いがある」

などと言おうものなら、

「あなたは女性を能力の劣った生き物とみなす“女性蔑視者”だ!」

などと言われかねません。

そう言われたり思われたりするのは、かなり不本意ではありますが、まぁ、それは言われたときにしっかり反論するとして、それについて考えて見ましょう。

普通より広くて車庫入れがしやすい女性専用の駐車場が、一般の駐車場の中に設けられた、という記事を読みました。

このニュースで女性の地位向上と権利の向上が前進した、と考える女性がいたら、それは「女性は駐車場での車庫入れがヘタ」ということを受け入れたことになって、実におかしなことになる気がします。

わたしの考えは・・・かといって男性と女性は大勢の平均を可能な限り取った場合でも、運転能力に差がない、なんて思いません。かといって、すっごく運転が下手な男の友人は少なからずいるし、女性より運動能力が明らかに劣る男性(わたしも含めて)だって掃いて捨てるほどいます。

はじめに「男女はすべてにおいて平等だ」という地点から出発すると、そんな男女の無視できない身体的な違いでさえ平気で同じだと言えてしまう偏った考えの人が、実はたくさんいます。

女性の限界は、男性の限界を超えないかもしれない、けれど、限界ではない普通の男性なんて比べ物にならないくらい優れた能力を持つ女性は限りなくいる。男性は望んでも妊娠できない。男性的なものと、女性的なものは、実際の体の性ほどは厳密に別れていません。おじさんみたいなおばさんってのもいるし。

このあたりは、「違いあり」と「極端な部分を除いては男女逆転も多い」というそれぞれの議論を十分にやってから、で、それぞれの関係はどうなるのかを、よくよく考えていく必要があるのでしょうね。

眠くなってしまったので、しゃんとしているときにさらに考えてみたいと思います。

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2006年3月14日 (火)

性別って、そもそもなんだ?

私はこれまで、「ジェンダーフリー」という言葉がある、ということ以外は何も知りませんでした。ここ何日かでさまざまなサイトを見てきましたが、そもそもジェンダーとは何なのかについて、おぼろげながら、その姿が見えてきたような気がします。

 「性同一性障害」に関する情報にあたっているときに強く感じたことです。それは「心の性別が最優先である」ということです。身体の外見や染色体による身体的性別は、「心の性別」とは一致しないことがあるどころか、望ましい性別の決定に当たっては、身体的な条件は2次的なものとして心の性別の下位に置かれる傾向があるということになっているようなのです。

 私はこれまで「男の体に生まれたから男だ」と思っていました。付いてたわけです。付いてたから男として届出が行われて戸籍上の性別が確定し、男として社会的に区分されて育ってきたので、今やゆるぎない男としてのアイデンティティーを確立しています。たぶん、私の脳は、「男の心」を持っていたようです。男の体に男の心、性が一致してます。悩んだことは一度もありません。

 これまで心の性別は「身体的に男で生まれてきて、男として育てられれば人は男になる」と漠然としたイメージしか持っていませんでしたが、これはどうやら違うようですね。だって、どんなに男として育ちあがっても、それを演じきれずに違和感を訴えて男の性を否定して性転換、ということが有り得るのだから、「心の性別」は置かれた環境には影響を受けることなく、先天的に持っていた(と私が思うところの)性別を頑なに守り続けようとしているように思われます。

 ひとつわからないことは、「心の性別」=「脳の性別」なのかどうか、という点です。

 脳の性別として、その性質の違いから「男性的」と判断された場合、でも心の性別は女性ってことはあるのかどうか?それがわかんないので先に進めない部分もあります。

 

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2006年3月10日 (金)

ジェンダー・アイデンティティー

             “ジェンダー”

                

「社会や文化・歴史が作り出した男女の性差のこと」

あいまいですね、表現が。

(社)日本精神神経学会の「見解・提言等」として発表されているもののなかで、ジェンダーがどのようなものとして認知されているかを理解することができる文面があるので紹介しましょう。

3.診断のガイドライン
 次に示す手順に従って、性同一性障害についての診断を決定する。性同一性障害に十分な理解をもつ精神科医が診断にあたることが望ましい。2人の精神科医が一致して性同一性障害と診断することで診断は確定する。2人の精神科医の意見が一致しない場合は、さらに経験豊富な精神科医の診察結果を受けて改めて検討する。

(1) ジェンダー・アイデンティティの決定

1)詳細な養育歴・生活史・性行動歴について聴取する。
 日常生活の状況、たとえば、服装・言動・人間関係・職業歴などを詳細に聴取し、現在のジェンダー・アイデンティティのあり方、性役割の状況などを明らかにする。また必要に応じて、当事者の同意を得たうえで家族あるいは当事者と親しい関係にある人たちから、症状の経過、生活態度、人格に関わる情報、家族関係ならびにその環境などに関する情報を聴取する。そのうえで、ジェンダー・アイデンティティについて総合的多面的に検討を加える。ただし、これらの人たちと当事者との関係に重大な支障を及ぼさないよう、細心の注意が必要である。

2)性別違和の実態を明らかにする。
DSM-ⅣやICD-10を参考としながら、以下のことを聴取する。
①自らの性別に対する不快感・嫌悪感
自分の第一次ならびに第二次性徴から解放されたいと考える。自分が間違った性別に生まれたと確信している。乳房やペニス・精巣などを傷つけたり傷つけようとしたりする。FTMでは声をつぶそうと声帯を傷つけたり傷つけようとしたりする。 
②反対の性別に対する強く持続的な同一感
反対の性別になりたいと強く望み,反対の性別として通用する服装や言動をする。ホルモン療法や手術療法によって、でき得る限り反対の性別の身体的特徴を得たいとの願望をもっている。
③反対の性役割
日常生活のなかでも反対の性別として行動する、あるいは行動しようとする。しぐさや身のこなし・言葉づかいなどで反対の性役割を演ずる、あるいは演じることを望んでいる。

3)診察の期間については特に定めないが、診断に必要な詳細な情報が得られるまで行う。

(2) 身体的性別の判定

① 泌尿器科医または婦人科医により実施された、染色体の検査、ホルモン検査、内性器ならびに外性器の診察ならびに検査、その他必要に応じて生殖腺検査などの結果を、精神科医は確認する(可能であれば文書として入手する)。本人の同意があれば、精神科医が染色体検査等の諸検査をすることができる。 
② 上記診察と検査結果に基づき半陰陽、間性、性染色体異常など、身体的性別に関連する異常の有無を確認する。 
 注: 上記については身体的性別に関する異常の有無が総合的にみて判定できれば良い。上記に挙げた検査等の結果が全てそろわなければならないというものではない。 

(3) 除外診断

① 精神分裂病などの精神障害によって、本来のジェンダー・アイデンティティを否認したり、性別適合手術(sex reassignment surgery, SRS)を求めたりするものではないこと。
② 文化的社会的理由による性役割の忌避や、もっぱら職業的利得を得るために反対の性別を求めるものではないこと。なお、このことは特定の職業を排除する意図をもつものではない。

(4) 診断の確定

① 以上の点を総合して、身体的性別とジェンダー・アイデンティティが一致しないことが明らかであれば、これを性同一性障害と診断する。
 注: なお、ここでは 慣例に従って身体的性別を基準とし、身体的性別が男性である場合をMTF(Male to Female:男性から女性へ)、身体的性別が女性である場合をFTM(Female to Male:女性から男性へ)と表記する。 
② 半陰陽、間性、性染色体異常などが認められるケースであっても、身体的性別とジェンダー・アイデンティティが一致していない場合、これらを広く性同一性障害の一部として認める。
 注: 性同一性障害の診断に関する国際的診断基準、たとえばDSM-Ⅳでは、半陰陽状態で性別に関する不快感を伴っているものを特定不能の性同一性障害に分類している。本人が性同一性障害に準じた治療を希望する場合には、治療から排除するものではない。 
③ 性同一性障害に十分な理解をもつ精神科医が診断にあたることが望ましい。2人の精神科医が一致して性同一性障害と診断することで診断は確定する。2人の精神科医の意見が一致しない場合は、さらに経験豊富な精神科医の診察結果を受けて改めて検討する。
 注: なお、2人の精神科医の一致した診断を求めている理由は、性同一性障害の治療としてホルモン療法や手術療法など不可逆的治療を想定しているので診断が確実であることが要求されるからである。したがって、改訂第2版ガイドラインでは、不可逆的治療を前提とするのでなければ、必ずしも2人の精神科医の一致した診断が必要不可欠というものでもない。この点についても個々のケースに応じて判断すべきである。

  ここで読み取れるのは、身体的性別に関わらず、社会の中で「女男どちらかの性を引き受けて生きているか」ということが「ジェンダー・アイデンティティー」という言葉で表現されています。

 社会の中で、「女性として生きる作法」、「男性として生きる作法」が存在するということが前提になっていて、それが身体的性別と不可分にかかわりあっていることから、「性同一性障害」という医療的な認定を必要とする問題が発生するわけですね。

 「除外診断」の②には、「文化的社会的理由による性役割の忌避や、もっぱら職業的利得を得るために反対の性を求めるものではないこと。」という一文があります。この“文化的社会的理由による性役割の忌避」が、悪しきジェンダーの根城ですよ。不当な男女差別的扱いを受ける地域や家庭があると思います。それは環境を変えることで修正すべき問題ですから、行政なりNPOなり元気の良い女性団体なりが「男女共同参画社会の実現」を目指して、啓発活動や社会の教育をやれば良い。だから性同一性障害には認定しないと言っています。

 

 身体的な役割が違う女性と男性が、社会的にも「ジェンダー・アイデンティティー」という名の性別を持っていて、それは後天的環境では決まらない「先天的な脳の性別」という部分に大きく影響を受けるということが、どうやら言えそうです。

 これについては、もう少し考えてみたいと思います。

トランス・ジェンダーの人々の声を、私たちはもっと聞くべきだと思います。

「留美子のブログ」を紹介します

http://blog.so-net.ne.jp/miyazaki/

で、なんか深刻な話題のトラックバックが付きました。

スポーツ選手ってほんとに男として男性の種目に出ているのか、女性の体で女性の種目に出てるのかを調べる検査があって、っていう話を先日職場でしてました。というのはだいぶ前に、体は女性なのに筋肉がモリモリで男性的な兆候が見られて、スポーツの実力もすごいという「女性」が、大会で優勝して検査を受けるっていう話を読んだことがあったからです。「私はもしかしたら男なんじゃないか?」そんな疑問が大きくなって押しつぶされそうになるっていう展開。

それがほんとにあったっていう話です。

トラックバックを見てもらうか、下記をクリックしてみてください。

「オペラ座の怪人」 KochouさんのBlog

http://blog.goo.ne.jp/kochou_2005/e/7340a619513d71e617e7f67983da0539

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「ジェンダー」というテーマ。

実は最近話題の「性同一性障害」なんかにも絡む身近な問題です。

これに対してイイカゲンな考えしか持っていないと、無責任な気がします。

勉強しよっと。

ジェンダーフリー・性教育バッシング―ここが知りたい50のQ&A Book ジェンダーフリー・性教育バッシング―ここが知りたい50のQ&A

著者:浅井 春夫,橋本 紀子,北村 邦夫,村瀬 幸浩
販売元:大月書店
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2006年3月 7日 (火)

服装は関係あるのかな?

 別に機能的な区分をされているわけではないけれど、男性と女性の服装はかなりハッキリと分かれていますね。これは歴史的にいろいろあったにせよ、現在は両性の一方を差別したり貶めたりする意味合いは全く残っていません。身体の差にはほとんど関係のない様式が確立しており、文化的に区別されています。着替えを一緒にするのしないのという議論は一部で盛り上がってますが、なにを着てるかはあまり議論にならないみたいです。

 ただし、体型の特徴に関しては大きく違うので、その辺りは「体の性差」に基づいている部分もあります。女性的な体のライン、男性的な肩幅など、体の性別に基づく違いはあったほうがいいです。より自分に合うものを人間は買いますからね。

 では、スカートについてはどうでしょうか?

 英国では男性がタータンチェックのスカートを穿きますね。私もロンドンの市街でバグバイプを吹くときの服装そのままの紳士に出会ったことがあります。日本で和服を着ている人を見るのとはちょっとちがった感情がわきます。だって、チェックの膝上スカートをはくのって、日本じゃ“JK”、つまり「女子高生」がほとんどだからです。

 いや別に性的な興味を、その英国紳士に掻き立てられたとかじゃありませんよ。

 私自身はそれをはいておもてを歩くために、かなりな勇気を必要とするということなんです。仮装行列なら別ですが、パブリックな場所でチェックのスカートをはくことに恥ずかしさを感じるのが多くの日本人男性だと思うのです。

 これって悪いジェンダー?

 地に落ちたような話をしますが、JKがはくからチェックのスカートは普通に見えるわけで、私がはいて、その下からすね毛ぼーぼーの汚い足がのぞいていたら「きったねぇ~!!変態かよ!!!」って話に当然なります。

 これがひるがえって、女性の脱毛とかムダ毛の処理ってことになって、大きな負担を多くの女性にかけることになる。これってどーなんですかねぇ?

 体の性が女性の人は、この抗いがたい日本社会の同調圧力に負けて、日々せっせとムダ毛の処理を続けているんですね。で、エステ業界が儲かってると。

 最近は少なくなってきましたが、夏のオリンピックとかを見ていると、女性のアスリートで腋の毛を処理していない人がいます。スタートラインに立って名前をコールされる時に手を挙げるじゃないですか。その時にこう、ぼーっとね、森状の翳りが見えることがあります。私は腋フェチではありませんので、変な誤解はしないでほしいのですが、そういうのが当たり前の国では、女性はさぞ楽だろう、なんて思うわけです。

 近年、テレビなどの影響でヒゲを伸ばす男性が増えました。かく言う私も濃いので、めんどくさい時は剃らずに伸ばすこともあります。この違い!なんなんでしょうね。

 男性は伸ばすことで男性の「性的なアピール」としているし、女性は処理することで「女性の身だしなみ」を整えている。

 ただし忘れてはならない傾向として、日本の若者の「女性化」があります。どちらかというと、ヒゲを伸ばす男性よりも、お肌ツルツル、髪をキレイに整えてアクセサリーを身につけた“フェミおくん”(古くてごめん)が目立っているのが昨今の傾向です。

 この傾向で儲けた化粧品関連企業は多いと思います。「女性にモテる男の身だしなみ」みたいなファッション雑誌の見出しに躍らされている若者が増えました(実は若者じゃない人にまで波及しています)。

 まぁ、ちょっとファッションの話からはそれてきちゃいましたが、私は、ファッションの問題は「体の性」つまり「SEX」の部分での、異性へのあるいは社会全体へのアピールであると私は考えています。

 それは形式としては文化的な背景の中で生み出されてくるものですが、明らかにSEXの違いをベースにして両極に分かれてお互いの方向を向いているというイメージが、私にはあります。

 異性に「モテたい」は永遠の欲望ですね。まぁ、それは同性にモテたいでもいいわけですが、人間だって生物としての宿命を免れてはいませんから、異性にアピールしたり、異性からアピールされたりします(同性でももちろん良いです。各自の性的な傾向で適宜読み替えてください)。

 化粧や服の傾向は、そうした異性へのアピールという側面を持つと言えそうですね。

最近ハマッてるBlog「ぶっ飛ばせジェンダーフリー!」をリンクしますね。

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こんな本もあるのですが、この著者の人たち、例の「新しい歴史教科書を創る会」の偉い人ですね。

まずは読んで、すぐに受け売りしないでしっかり噛み砕きましょう。

そういう意味ではこの本お奨めします。

新・国民の油断 「ジェンダーフリー」「過激な性教育」が日本を亡ぼす Book 新・国民の油断 「ジェンダーフリー」「過激な性教育」が日本を亡ぼす

著者:西尾 幹二,八木 秀次
販売元:PHP研究所
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2006年3月 5日 (日)

ジェンダーの何が問題なのか

 少し前までは「男女平等」とよく言われましたが、明らかな性差を無視した平等はむしろ「不平等」です。

 ジェンダーというのは、主に体の性差に基づいて割り振られた社会におけるそれぞれの性に与えられている役割のことで、その言葉自体に「差別」とか「偏見」といった悪い意味はありません。

 しかし、「ジェンダーは女性を男性の下において服従させたり管理して便利に使ったりするために男性が女性に一方的に押し付けた差別的な役割だ!」と大声で叫びまくる怖い団体もあります。けど、これ違うと思います。

 「家事と育児は女性の仕事」とか「女の出る幕じゃない」などといった言葉に代表される男性優位社会は時代とともに変化しています。けれど、いまだにこうした言葉とそれを発する意識は根強く残っているのも事実です。

 迷ったら、なぜこの役割は女性と考え傾向があるのかを考えてみればいいのです。納得できる相当の理由が見つからなければ、そのジェンダーには問題があります。また、なぜ女性ではだめなのかを考えてみて、相当な理由に思い当たらなければ、それは不当なジェンダーとして改めていかなければならないでしょう。

 責任のある立場の人間として認められないなんてこともありがちですね。窓口へ出ても「おねぇちゃん」呼ばわりされたり、「あんたじゃ話にならん」などと言われたり、電話に出ると「ご主人いらっしゃいますか?」と用向きも言わずにいきなり替われと言われたり・・・女性の立場をなぜ責任のないところに追いやるのでしょうか?女性はちゃんと責任をもって仕事をこなしますよ。

 まぁ、例を挙げればきりがないですし、このBlogではテーマの本質を考えることなので、あとの検証はみなさんの身近な場面を考えながらやってみてください。

 この次は男性もの、女性ものの区別、ファッションの傾向など、身の回りにあふれている男女の区別について、さらに考えてみたいと思います。

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最近、脳を鍛えるというテーマの書籍がたくさん出ていますね。

ゲームでもこんなのが出ています。物忘れが気になる年齢になると、この先の人生への不安も大きくなって、思い出せないことで自分を追い詰めてしまってさらに悪い結果を招いてしまいがち。リラックスしてあははと笑って挑戦してはいかが?

東北大学未来科学技術共同研究センター 川島隆太教授監修 脳を鍛える大人のDSトレーニング 東北大学未来科学技術共同研究センター 川島隆太教授監修 脳を鍛える大人のDSトレーニング

販売元:任天堂
発売日:2005/05/19
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2006年3月 2日 (木)

ジェンダーについてさらに

 ジェンダーを考える時に、絶対に忘れてはいけないことは、体の性差が基になったジェンダーもあるということです。「体の性別」と「心の性別」をどう区別するかという問題が手付かずですが、とりあえず区別が目に見える体の性別を中心に考えてみたいと思います。

 オリンピックでは男性と女性が同じステージで競技することはありませんね。一緒なのは開閉会式とか応援とか競技以外の場所です。ゴルフでは時々女子プロが男子の大会に出ることもありますが、どんなことにも例外はあります(「例外」って便利です)。
 この「男性」であるか「女性」であるかという区別は、あって当然、ないと困る「個性」に分類される違いです。動物の世界では、この体の性別による役割分担が明確にされていて、誰も文句は言いません(言っているかもしれませんが、人間には分かりません)。動物の世界には生きて、遺伝子を次世代に残すという本能があって、それは実に忠実に(頑なに)守られ続けています。
 一方、人間はそうした本能のプログラムを「言葉」に置き換えて社会を形成し、複雑な仕組みの中でさまざまな目的のために生きています。人間の世の中では、考え方や目的にはいろいろなバリエーションが有り得ますが、体の違いまでは乗り越えられません(性転換手術のことはここでは置くとして)。だからこそそれをベースにしたうえでの社会における役割分担が必要になります。
 ジェンダーの起こりは猿から人間への移行をしているころ、言い換えれば、本能を言葉に置き換えているころに固定化し始めたものと想像しています。

 まぁね、ジェンダーの発生論なんて実はそれほど重要ではなくて、今を生きる人間のみなさまがたが体の性差に基づかない社会的な性別による役割に不自然さや居心地の悪さや違和感などを抱いて嫌な思いをすることがないような方向で話を進めていくことが大切です。(一文が長くてごめんなさい。癖なのです)

 本文が長くなってきましたので、この辺でとりあえず一区切りといたします。

 次は、問題として取り上げて考えるべきジェンダーとはどんなものかを考えてみたいと思います。

初TB付きました。(→ http://katana7.com/835783468393835F815B/

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★★★今、本屋の最前列で平積みされていますね、ハリポタが!

もう、第6巻「謎のプリンス」が発売されて、英語版の第7巻の予約が始まっています。私は映画しか見ていませんが、実際にロンドンのキングズ・クロス駅へ出かけて、9と3/4番ホームの柱に体当たりしてみました。

その時の様子はこちら:http://arjunaheart.com/arjunas_diary4.html

ハリー・ポッターと謎のプリンス ハリー・ポッターシリーズ第六巻 Book ハリー・ポッターと謎のプリンス ハリー・ポッターシリーズ第六巻

著者:J. K. ローリング,J. K. Rowling
販売元:静山社
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2006年2月28日 (火)

「男女共同参画」と「ジェンダーフリー」

 「男女共同参画」という言葉は実に分かりづらいのですが、その活動を進めているのが地域の女性団体であることも、その分かりづらさを深いものにしている原因のひとつだと思います。
 男性優位な社会になったのは戦争をするようになってからではないかとか、家督相続を男子に限ったことが影響していやしないかとか勝手に思っているのですが、その男性優位社会の発生論はこの際置くとして、現状を考えて見ましょう。

 子供を産む性である女性は、確かに連続して長期間安定した労働をすることに向きません。これは体の問題なので、それを十分に考慮した社会作りが必要なのですが、現在そうなっていません。男性優位社会はすでに過去のものといった感のある昨今ですが、女性の声は確実に届くようになっても、女性の性に関する特性を考慮した新たな社会制度作りは、ユニヴァーサルデザインが普及しているほどには広がる気配がありません。

 じゃぁ、どうするか?

 で、決定権を持つ女性が増えればいい、という短絡的な話になるわけです。
 でも、これって間違ってる気がします。

 この社会は、vsという構図では成立していません。個別には、現時点で多くの場合は男女が最小の集合体である家族を構成しています。もちろん同性でも構いませんよ。まぁ、話の行き掛かり上、そんな話として進めますが、別に対立しているわけじゃない。男性と女性はお互いにくっつきたがっているわけです。だけどこの問題が出てくるときに限って、男性が自分たちに有利な社会制度を作ってそれを維持して女性を搾取している、女性は男性にやられちゃってるという議論になる。だから「女性の国会議員を!」とか、「社会の要職に女性の比率を増やせ!」的な方向に話が進みがちです。まして「女性団体」というのは掃いて捨てるほどあるのに、「男性団体」というのは珍しいように思います。そしてその「女性団体」に男性が入っている、というのもあまり目にしません。性差による選別をしているのでしょうか?男性と女性の間で地球の覇権争いをしているのですかね?「猿の惑星」みたいにお互い否定しあって、虐げられてきた女性が虎視眈々と覇王の座を狙っている・・・のか?

 けれど、「男がダメなら女が決める」という具合には行きそうにないと私は思うのです。
これもバランスの問題で、女性が決めたら悪くなるということもないとは言えません。何もかも平等、折半でやったからと言って、社会が動く保証なんてない。なぜならば、それを決めたり変えたりしている「社会の要職にある」みなさん方は、その問題の本質を「どちらの性が決めるかによって内容が変る」と思っている人々ばかりだからです。

 この問題は、教育の問題ですよ。

 ジェンダーは、性別による肉体的な差異をベースにして、長い時間をかけて形成され定着してきた「社会において性別ごとに付与された役割」のことですが、このことを正しく理解することが、性別に関係なく誰もが堂々と自己実現を図れる社会の形成のために欠かせません。
 その意味で、男性はもちろん女性にも、ジェンダーに対する正しい理解を深めてもらわなければならないと思います。

 ここでジェンダーについてちょっと考えて見ましょう。

 よく言われるのが、徹底的にジェンダーフリーを推進しようという話です。「男性と女性の差をすべて無くせば男女平等は実現される」という話らしいんですよ、実は。

 じゃぁ、トイレも一緒、着る服も一緒、髪型も化粧も、お風呂も、もちろん仕事や社会での役割なんかも、みんな同じにしたら「男女平等な社会」ってわけですか。

 タモリなら言うでしょう。

 「んなこたぁ、ない!」 ちょっと古い)

 中国でおこなわれていた纏足のように女性を「女性」の枠に入れて教育する傾向は今ではあまりなくなってきていますので、男も女もこれまでのジェンダー定義を横断する中で育っていると思います。そうした纏足的押し付けがなくなったとしても、やはり男と女は100%重なるわけではありません。

 ユニセックスのフリーサイズでは満足いかないです!

 区別が必要な場面では、しっかりと区別しなければなりません。例えばトイレの入り口のサイン。

 スカートをはいた赤いシルエットは女性、スカートを履いていない青または黒のシルエットは男性。日本ではこれで区別が可能です。これがあるから、ちょっとくらいボーッとしていても、間違えずにそれぞれのトイレへたどり着くわけじゃないですか!これが揺らいだら厳しいですよ。注意力散漫なお年寄りなんか、「トイレを覗くエロジジィ」というありがたくないレッテルを貼られてしまうでしょう。
 これは差別じゃありません。必要な区別を迷わずにするための知恵です。そのことで誰も迷惑していない。そう言うと「国際的には通用しないから外国人差別だ!」などと言い出す人がいそうですが、だったら新たな世界標準をISOとかで作ればいい。避難経路を示すみどりのサインはISO基準ですから、トイレだって無理ではないです。

 そもそも違うものを同じにしようとするから問題なんです。自由の幅が大きくなっている現代社会で、その自由をどれだけ希望者に保証してあげられるか。これがこれからの課題でしょう。「あなたは女だからダメです」「男だからいけません」ということがないように。

 ただ、社会は長い長い時間をかけて、安定を保ちながら変化を続ける生き物のようなもの。大魔神の怒り顔のようにすぐに変えることはできません。「そうさせてやりたいけれど、今の世の中でそれに挑むのは、猫ひろしがチェ・ホンマンにOK勝ちする以上にむずかしい。だからよく考えろ」というのはありですね。それは愛情です。

 韓国や北朝鮮のように「日本は悪い国だからやっつけよう!」という教育をやると、これだけの影響があるのですから、誤りのないジェンダー教育が、一番手っ取り早く日本を変えていく可能でいの高い分野だと思います。

 正解が何かより、今は議論を盛り上げる時です。

参考に見てね:http://www.jiyuu-shikan.org/teachers/hattori/0311.html

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<余談>

またまた寒くなってきました。

頭が凍えてしまうと多くの可能性に注意を払うという煩わしい作業の能力が低下してきますので、ゆっくりと半身欲でもして体の血行をよくしてあげることが大切!

ゲルマニウムで血行をさらに高めて美肌になっちゃいません?

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冷え性からくる腰痛や関節痛もあります。

日頃のケアが10年後のあなたの健康を決めます!

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